プロフィール

はじめまして!
当ブログ運営者のAYA(あや)です。

私は30代後半のアメリカ駐在員の妻(駐妻)です。

現在夫と共に駐在先企業のスポンサーで永住権(グリーンカード)を申請中です。

異国の地に永住する覚悟を決めて、法人を設立しました。雇われず雇わない一人社長をしています。

物理的な縛りがなく世界中どこでも好きな時間に仕事ができ、誰にもどの国にも依存しない、アメリカで注目されている一人社長という働き方を選びました。

私にしかできない事は何かを日々模索しながら、様々なことに積極的に挑戦しています。良くも悪くも思い立ったらすぐに行動する性格です。

お節介で人助けに生きがいを感じていて、ついつい頼みごとを喜んで引き受けてしまいます。常に忙しいのにギブし続けるギバーです。

私が当ブログを開設した理由は、今までの失敗や経験が皆さんのお役に立つかもしれないと思ったからです。

山あり谷ありの人生ですが、持ち前の運の良さと究極のポジティブ思考で、ここまでそこそこ楽しくやってきました。
そんな私の自己紹介です。

母の言われたことを素直にきく幼少期から学生時代

ごく普通のサラリーマンの父と専業主婦の母の家庭に生まれました。
大手企業に勤めていた父のおかげもあって何不自由なく育ちました。

祖父母とも同居をしていました。
私は三姉妹の真ん中です。

我が家は典型的な昭和の家庭で、父が稼ぎ、母は家庭運営と子育ての最高責任者といった感じでした。

幼少期から学生時代までは、母に言われた通りの人生を歩んでいました。

高校受験では、地元で評判が良い進学校に挑戦して欲しいと母に言われ、母の希望通りの進路に進みました。

女子校でしたが妬みやイジメは全く無いどころか、助け合い精神を持った生徒ばかりでした!

共学の場合、男女それぞれの役割が決められていると思うんです。例えば学園祭だと、男子は重いものを運んで、女子は装飾を担当する。

女子校にはそれがないんです。全て自分でやるのが当たり前ですし、共学の学園祭より完成度が圧倒的に高かったので、頼る人がいないと、人間で何でもできるようになるんだな!と思いました。

高校時代の友人は今でも尊敬していますし、恵まれた環境には感謝しています。別の進路を選択していたら、私のギバー精神は培われていなかったと思います。

そして母がギバーであることも重なり、子供の頃から人のために何かをすることが好きでした。育った環境によって人格が大きく左右されると言いますが、良い面も悪い面も母にそっくりです。

まじめな学生だった割に何も残せなかった留学時代

高校卒業後の進路でも、母からの提案通りカナダ留学を決めました。

どうせ国立大学は無理だから、都内の私立に通わせるよりはカナダの田舎に留学させた方が金銭面も含め総合的メリットがあるという理由でした。

当時留学を親に反対される友人が多かった中で、頼んでもいないのに留学させてもらえたことと、父が姉と私の留学費をまかなえる収入があったことには感謝したいです。

留学中は、法や倫理に反することはせず、無事に短大を卒業することだけを母親から言われていました。

留学経験がある人は分かると思いますが、留学生の多くは若気の至りで羽目を外してしまいますよね。私はまじめ過ぎて、そのような経験は一切ありませんでした。

勉強ばかりしていた割に成績は本当に最悪でした。



もう一つの約束は、留学中は母に毎月家計簿を送ることでした。

同じ時期に留学していた姉は優秀で奨学金を受けていましたが、私は落第スレスレの劣等生だったので、私にできる節約に命をかけていました。

3食自炊をして、食費は月にたったの1万円程度でした!

毎日パスタだけを食べているような貧乏留学生とは違って、Cookpadに助けてもらってバランスの良い食生活をしていました。

私が留学していた2002年ごろにはすでにCookpadがあったんですよ!ふりかけやドレッシングも手作りしてました。


このときの超節約生活は、全く苦に思わなかったんです。
究極のポジティブ思考で、むしろ節約が楽しかったです。

節約生活は、アメリカでのプチ貧乏生活で役立つことになります。

新卒で米系企業就職と人生の転機

カナダの短大卒業後の進路で人生の転機を経験します。

反抗期がなく素直な性格だった私が、社会人になって自己主張が強い人間に変わります。



卒業後、フロリダ州にあるテーマパークのゲストサービスでの仕事が決まりました。

私が配属になったのは、世界一入場者数が多いパーク内での仕事でした。

持ち前の運の良さで勝ち取ったポジションでしたが、実際のところ、世界一クレームが多いテーマパークでもあったので、とんでもない場所に来てしまったとすぐに気づくことになります。

研修を終え、初めてのお客様を最高の笑顔でお迎えしたときのことは今でもはっきり覚えています。

機嫌が悪そうなゲストに Can I take a rain check!?と言われました。レインチェックの意味を知らずゲストに尋ねると、「雨が降っていてパークが楽しめないから次回使える無料券が欲しい!」と。

開いた口が塞がらないというか、あきれ果ててどう答えて良いか分からなかったです。



実はこのクレームは雨の日お決まりでアメリカでは珍しくないことのようです。

人間性を疑うようなクレーム処理をする日々。ここではとても話せない人間の汚い部分を知りました。



アメリカでは、「申し訳ございませんでした!」から始まるクレーム対応は存在しません。

日本のように「お客様は神様」の考えはなく、あくまでも同等の立場。そんな環境で毎日苦情処理をしていれば人格が変わらない方が不思議ですよね。

アメリカ人のようなはっきりすぎる物言いで何かと文句を言う娘になった私をみて、母は、留学させたのが失敗だったと口癖のように言うようになりました。笑

それでも、世界一のエンターテイメント企業から学んだことは計り知れず、そこで知り合った仲間は一生の宝です。

13年で転職回数6回のジョブホッパー時代

帰国後に計画転職を繰り返しました。

女性はどうせ結婚したら退職するものだと思っていたので、フルタイムの仕事を13年で6社経験しました。


転職できる勇気が羨ましいと言われましたが、ゼロから異業種に転職して、新しい一歩を踏み出すことは想像以上に労力がいるんです。

苦労が多かった分、得ることも多く、ジョブホッパー時代に学んだことは全て役に立っています。どんな仕事でも無駄にはなりません。


もしあなたが今「電話対応は嫌だ」「お茶だしの仕事なんて馬鹿馬鹿しい」「毎日同じ事務仕事がつまらない」などと思っているのであれば、目の前の小さな仕事に全力で取り組んでほしいです。

スティーブ・ジョブズ氏のスタンフォード大学での卒業スピーチにあった「点と点が将来繋がる話」。

ジョブズ氏は、「今経験している点は将来必ず繋がる時が来る。その時を信じて、今できることに集中することが大事」と伝えています。

やりたい仕事に挑戦するためにジョブホッパーしてきたことは、100%正しい選択だったと思っています。

点と点が繋がった営業時代

夫との結婚が決まった頃、地元に戻り、訪問営業の仕事をはじめました。

やりたい仕事というよりは他に選択肢がなく、急に辞めても迷惑がかかりにくい仕事はこれしかありませんでした。



普段何も言わない父がこの時だけは反対し、「訪問営業とは他に職が見つからない人がやる詐欺師みたいな仕事だぞ!」と言われました。

営業を始めてみると、実際に嘘ばかり並べて契約を取っていた営業員もいたので、父が言ったことはおおむね当たっていますね。汗



営業所には、複雑な家庭で育ち高校を卒業していない元不良少年もいました。

真面目な社会で生きてきた私にとっては、この環境が新鮮で、実は毎日が最高に楽しかったんです。


訪問営業では在宅率の高い夕方以降がゴールデンタイムです。

当時交際中だった夫からは、暗くなったら仕事をしないで欲しいと言われ、実は夜間はほどんと仕事をしていませんでした。

営業員の多くは昼間サボり、私は夜サボるスタイルでした。笑


ジョブズ氏のスピーチ通り、全くつながりのないように思えた過去の仕事の経験が全てここで繋がりました。

無意識のうちに将来のための種まきをしていたようです。
稼働初日から契約が取れ、2ヶ月目から営業所長に昇格するまでは、毎月営業所でトップの成績でした。

お節介ギバーで究極のポジティブ思考であったことも手伝って、私にとっては驚くほど簡単な仕事でした。
私は契約数はそこそこでしたが、キャンセル率とクレームの低さはズバ抜けて良かったです。


ある日、本社に呼ばれ行ってみると、そこは表彰式会場でした。

私は新人賞とチャンピオンベルトなどいただきました。

私を目標に死ぬ物狂いで営業をしてきて賞をもらえたことが嬉しい!と号泣している人がいて、営業に対する私との温度差に正直驚きました。

労働時間もストレスもサラリーマンより少なかったと思います。

時間もお金もかけて薬剤師や弁護士になった友人より、私の方がずっと楽に稼いでいました。それで、お客様には感謝してもらえるなんて、最高の仕事でした。


学歴や資格に関係なく、過去にまいた種が多ければ、より簡単に成功をつかみやすい(努力をすれば結果は後から必ずついてくる)と思いました。


お客様を家族のように考えて仕事をしていたためか、紹介を多くいただいていたので、自分の時間を使って収入を得る「労働収入」とは少し違う、新しい働き方についても知るきっかけになりました。

仕事に生きがいを感じていた時期に決まった夫のアメリカ駐在

管理職に昇格後は、どん底だった営業所をNo1の営業所に立て直しました。

営業所の目標を達成しない月は一度もなかったので、いつも献身的にサポートしてくれた営業所の仲間には感謝しかありませんでした。

「営業は無理だったら辞めればいいじゃん!」と父に言って挑戦したのは大正解でした。

仕事に生きがいを感じていた時期に、夫のアメリカ駐在が決まり駐妻になりました。

夫の駐在員奴隷制度のはじまり

日系企業の駐在員は、様々な手当や補助がつき、手取り額が2倍、年に2回の帰国はビジネスクラス以上。会社にもよると思いますが、父が勤めていた日系企業ではこのような待遇でした。

夫が勤める米系企業では手当や補助など一切なく、引越しの航空券代から住宅、自家用車など全て自己負担でした。

移住前と比べると世帯収入が半分になり、生活費が4倍になりました。


駐在員家族の優雅な海外生活とは程遠いものでしたが、トランプ政権後のビザ取得だったので、この貴重な機会を与えられたことに感謝をしていました。

特に私たちの場合、 駐在員ビザからグリーンカード(永住権)への切り替えが可能だったので、これほど恵まれた機会はないと思っていたんです。

それは、実は「駐在員奴隷制度」の始まりを意味していました。

仕事が断れない立場を利用し、奴隷のように仕事を振られることです。

夫は、1年目は休日もほぼ毎日出勤していました。

弱肉強食の競争社会アメリカで生き残るために、夫は2年目から現地の大学院に通いはじめました。

フルタイム駐在員 + フルタイム大学院(通学とオンライン)= 地獄 でした。

夫の精神面と身体面の強さには驚きましたが、それでも仏と呼ばれるほど優しい夫は鬼のような性格になりました。汗

私の職探し難航とアメリカでのプチ貧困生活

アメリカでは共働きが一般的です。
夫の駐在先の米系企業では、駐在員の配偶者の就職は当たり前でした。

私は留学や海外就業の経験があったので、現地就職は容易だろうと甘く見ていましたが、驚くほどキャリアつながる仕事が見つからなかったんです。

マイアミはスペイン語を話すラテン系アメリカ人が多く、日本人はたった1,000人しかいません。

日本語を使ったフルタイムの仕事など幻でした。これだ!と思う仕事は、学士と永住権が求められました。

結局、日本の通信制の大学で学びながら、パートタイムの仕事をしました。私の年収は雀の涙ほどでした。


留学中に楽しく節約生活をしていた経験が幸いして、アメリカでの節約生活は苦ではなかったです。

でも、夫の稼ぎに頼る生活と就職活動がうまくいかない無力感からくる後ろめたさは大きなストレスでした。

アメリカの営業職で詐欺の被害

アメリカでは、パートタイムの仕事をいくつか経験しました。その一つが訪問営業でした。

日本での営業実績から、保険会社や証券会社などの営業職のオファーが来ましたが、学士がないとアメリカでは営業職への就職すら容易ではありませんでした。


結局、アメリカでも訪問営業に挑戦してみることにしたんです。


私は昼間だけの時短営業でしたが、外国人営業員の中では成績トップになりました。
営業に語学力はあまり関係ないようです!

日本での営業では、私の強みは、キャンセル率の低さでした。アメリカでも同様に飛び抜けていました。


それが、ある時から急に、私が獲得した契約の謎のキャンセルが続いたんです。

改善しても結果は悪くなるばかりでした。


ある日、同僚が詐欺の被害で会社を控訴する準備を進めていることを知りました。社長の指示で契約書が別の営業員名に書き換えられていたようです。


残念なことに、私も被害者でした。 本当にびっくりしました。

無能な人間に使う時間と労力ほど無駄はないと思って、何の迷いもなく辞めました。


被害額がどれだけあったのか、調べることすら時間の無駄だと思いました。


私のような無知な外国人は絶好のターゲットだったと思います。

在宅ワークとの出会いとアメリカでの起業

そんな時期に見つけたのが在宅ワークの仕事でした。
米系企業の日本人専用窓口の仕事でした。

パソコンさえあれば場所も時間も選ばず仕事をすることができます。

家族が遊びに来ている時も稼ぐことができることは大きなメリットでした。

さらに、その頃夫には転勤の話が出ていたので、世界中どこからでもできる在宅ワークの仕事は不安定な生活スタイルの私にぴったりだと思いました。

万が一また別の地に移住することになっても、一から同じ苦労をしなくてもいいと思いました。


渡米を機にはじめたTwitterでは、配偶者の駐在や国際結婚で移住をして、就職できずに苦しんでいる人がたくさんいました。特に子育てをしながらの就職はなおさらです。

優秀な方も多く、日本でのキャリアを諦め渡航して、せっかくの能力や経験が活かされていないのは勿体無いと思いました。


私のようにリモートワークのような新しい働き方であれば、家庭や子育てと仕事のバランスを保つことが可能になると思います。

そんな海外就職で苦戦している在米日本人の役に立つ何かができればと、 日々活動しています。


移住後、多くの出会いがありました。
死ぬ物狂いで働いて、月収数百ドル(数万円)で生活するシングルマザーから、年収数百万(数億円)ドル稼ぐ成功者まで、どん底と頂点を見ました。

お金を稼ぐことだけが幸せだとは思いませんが、月に数百ドルしか稼げず生活保護を受けている人の生活は、はっきり言って地獄です。

自分には関係ないと思われたかもしれませんが、誰にでも起こりうることなんですよね。逆に、チャンスがあれば頂点にもいけます。

日本は豊かだ。国が守ってくれる。困ったら日本に帰ればいい。・・・
こう思ってのんびりしていると、人件費が安い国で死ぬ物狂いでやってきた能力の高い外国人が日本に移住して、努力しなかった日本人は負けてしまう。

働き方改革が始まり、日本もアメリカのように競争社会になるのは時間の問題だと思います。

日本に戻ることになる可能性も考慮して、自分自身のためにも今は頑張る時だと思って様々なことに挑戦しています。


最後までプロフィールを読んでいただきありがとうございます。

03/22/2020

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